松尾孝久先生 |
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2017年 06月 02日
1994年5月27日、私の師である捜真女学校水泳部監督の松尾孝久先生が亡くなった。
あれから23年、来年はついに亡くなった松尾先生の年齢に並んでしまう。なんとも不思議な感じだ。 松尾先生の教えをおよそ3年ぐらい受けることができた。おそらく松尾先生の最後の弟子と自負している。なんと幸運なことだろう。 先生は晩年、がんを患っていた。 私は毎週月曜日、仕事が休みの日に先生の学校にお邪魔し、練習を見させてもらった。 普段は練習を全く見ないのに、月曜日、私が行く日だけは実際にプールに入り、大声を上げて生徒を指導していた。 私に「こうやって教えるんだ!」というように。 体は相当きつかったに違いない。 先生には、具体的な練習方法などを教えていただいた記憶があまりない。 3年間、先生の運転手をしながら、人生を教えていただいた。 先生が亡くなった翌月、神奈川県の高校選手権が行われた。 幸運にも、わたしが指導していた選手の2人が神奈川県の高校チャンピオンになることができた。 その場に松尾先生がいてくれたらきっと喜んでくれただろう。 「一番いてくれなきゃいけない人がいないんだもんな~」と心の中でつぶやいた。 先生が亡くなって、この神奈川県の高校選手権において「松尾孝久杯」が男子の平泳ぎにおいて設置された。 いつか教え子と一緒に、このカップを獲得する。必ず。
by sports-i
| 2017-06-02 00:40
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